風邪と姉とあたし


 腋に挟んだ体温計を見る。やっぱり。余裕で三十八度を超えている。これは久々にやられた。仕事行く行かないの話じゃない。平熱が元々低めのあたしにとって、これは致命的な発熱である事は確かだ。
 とりあえず、もしもの時に、と大分前に買っていた風邪薬を取り出す。当然の如く消費期限が過ぎてる。でも一応飲んでみる。効くかどうか分からない。万が一、更に具合が悪くなったらもう諦めるしかない。
 こういう時になると困った事に、色々と欲しい物が出てくる。でも医者に行く気力すら無いのにどうすれば……寝るしかないのか。ふらふらの足取りで……途中から二足歩行すらだるくなり這い這い歩きで、ベッドに向かう。

 朦朧とした意識の中で、熱、喉の渇き、頭の痛み、関節の軋みと、風邪のテンプレートの如き症状があたしの身体を蝕む。
 どうすれば良いんだろう。しかし動く気力も無いし。ため息すら出ず、げほげほ、と咳をするのがやっと。ベッドの中でもがくのが精々。
 苦しい。
 でも、誰も助けてくれる筈も無く。独り暮らしは辛い。
 このまま症状が悪化して死んだりしたら、あたしはどうなるんだろう。孤独死扱いになるんだろうか。そもそもあたしは孤独なのか。そう言えば知り合いが「蠱毒(こどく)」とか言う虫を使った呪いの話をしてた。話の内容は思いっきりホラーだけどまさか試してないよね。ああ、試したといえば、この前新しいブラ試したけど、やっぱり友達の言う通りあれは結構きつかった。ブラと言えば……サイズが……
 なんか思考が留まるところを知らず、コップから零れ出てテーブルを際限なく流れ続ける水の様に、あたしは横になったまま呻き、熱にうかされ、泥沼みたいな感触の眠りに苛まれる。

 ふと、気付く。
 さっきから、どこからか、音が聞こえる。それはどうやら外から……
 どんどん、と遠慮の無いノックが玄関から聞こえて来るのに気付く。そう言えば、家のドアベル壊れてるんだった。知ってるのはただ一人。それは……
 ホラー映画のお化けさながらにベッドからよろよろずるずると這いずり出て、これ以上無い程手を伸ばし、何とか鍵を開ける。扉がばっと勢い良く開いた。瞬間、入り込んできた外の空気が寒く、肌に刺さる。思わず身をすくめる。
 そんなあたしに一瞥をくれた後、ばたんと扉を閉め、ずかずかと部屋に入ってきたメイ姉は開口一番、言った。
「馬鹿は風邪ひかないって、前に言ったよね」
「う、うん……?」
「アレ嘘だわ」
「ちょっ、いきなり酷い」
 にやっと笑ったメイ姉は、近くのスーパーのものと思しきビニール袋をテーブルにどさっと置くと、慣れた手つきで冷蔵庫に何か入れていく。
「困ってると思って、色々買ってきた」
「おお、流石は頼れる姉様」
「玉子豆腐とプリンも有るよ、一緒に食べるが良い」
 ドヤ顔で両方を見せるメイ姉。
「いや、嬉しいけど、甘いのと塩辛いの一緒に食べるのはちょっと……」
 あたしがどちらか一つにしようと言ってもメイ姉は聞かない。
「文句言わない。あとは、元気出るかと思って、『食べるにんにくラー油』とか言うの買って来た」
「に、ニンニク? しかも何か微妙に今更感のある、食べるラー油?」
「元気出ないかな?」
「あたしに聞かれても困る……」
 リアクションを楽しんだみたいにメイ姉はあたしをじっと見ていたけど、手にしたラー油の瓶にちらりと視線を移し、言った。
「ま、激安セール品だったから私がちょっと興味有ったんだよね。あとは定番のポカリとヨーグルトと、インスタントのスープにお粥。ついでに、消費期限切れだろうと思って新しい風邪薬買って来た」
「ありがとう。至れり尽くせりだね」
「後でお金頂戴♪」
「……そういうとこしっかりしてるよね、メイ姉って」
 差し出して来たメイ姉の手を振り払う。あたしは何だか別の疲れがどっと出て、床にへたり込んだ。

 まずはプリンを一口食べてみる。胃が受け付けない。
「無理しない。とりあえずポカリ一口飲みなよ」
「ありがと」
 ポカリは何とか胃に入った。じわりとしみる。でもティーカップ一杯位が限度。それ以上は口から溢れそう。
「無理すんなって。急いでも良い事ないよ」
「うん」
 食べかけのプリン、飲みかけのポカリは冷蔵庫へ。あたしはベッドによたよたと向かい、力なく寝転がる。
「とりあえずゆっくり寝ると良いよ。今日は私こっちにいるから」
 そう言ってメイ姉は暇そうにTVのリモコンを見つけて、適当にザッピングし始めた。
「うん……って、良いの? 風邪うつるよ?」
「うつったらメグミに介抱してもらうから」
 そう言ってあたしに顔を近付けると、顎をつつっと撫でる。メイ姉がよくやる仕草。その後、決まってふふっと笑うのも、いつもの癖。
「わかったよ、メイ姉」
「とにかく、ゆっくり寝て。私が居るから何か有ったら声掛けて」
「うん」
「じゃあ、さっさと目を閉じる。お休み、メグミ」
 メイ姉があたしの瞼に手をやる。ぞっとする程、その手と指は冷たかった。でも、今はとっても心地良かった。

「あ、暑い」
 がばっと身を起こす。汗だくだ。全身汗まみれ、と言うよりひとっ風呂浴びてそのまま横になったに等しい感覚。
 敷き布団のシーツも、掛け布団も湿気ている。パジャマや下着は勿論だけど、これって酷くない?
「やぁ。おはようメグミ。半日位寝てたかな」
 何故かやたらと古い時代劇の再放送を見ていたメイ姉は、ちょうど悪人成敗が終わったシーンで顔をこちらに向けた。
「え、そんなに?」
「なんかうわごと言ってたよ」
「どんな?」
「内緒」
 メイ姉は天使の微笑みではぐらかす。でもあたしは知ってる。メイ姉、何か有った時て、必ず目が笑ってない。今もそうだ。一体何を聞いたんだろう。最悪な事に、どんな夢を見たかあたしは全然覚えてない。
「まあ、とりあえず入れるなら風呂入ったら? さっぱりするよ。立てる?」
「う、うん……まだふらふらするけど」
「じゃあ」
 メイ姉はいきなりあたしの服を剥ぐと、自分も服を脱ぎ始めた。
「ええっ? 一緒に入らなくて良いから」
「ちぇー、つまんないの。でもふらふらするんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、お姉ちゃんが特別にタオルで身体を拭いてあげよう」
「ありがとう……でも、服は着てね」
 言われてメイ姉はつまらなさそうに脱ぎかけの服を着た。

 全裸にひんむかれて、あたしは成す術無く、メイ姉のなすがままにされていた。こう言うとなんかいやらしい感じがするけど、実際にはただ少し冷ための水タオルで、身体を拭いて貰ってるだけなんだけど。
「汗っかきだねえ」
「しょうがないじゃん。風邪だし」
「そう言う事にしといてあげよう」
 何故かメイ姉は上機嫌。意味が分からない。
「メグミ、少し胸大きくなった? また成長した?」
「え?」
「この前見た時より少しトップが……」
「ちょっ、触らないで」
「いいじゃん、姉妹なんだし」
「だからこそだって」
「遠慮しないで」
「メイ姉自重しろ」
「だって、このうっすら紅く染まった白い肌とか、同じ姉妹なのにどうしてこうも違うのか、確かめてみたくなって」
「確かめなくて良いから」
「お姉ちゃんの事、嫌い?」
「そういうとこは嫌い」
「お姉ちゃん悲しいっ」
「そうやってカワイコぶって誤魔化すのもなんかイヤ」
「なら仕方ない」
 やおらメイ姉はタオルを放り投げると……あたしに抱きついた。本性を現した魔女の如く。
 あたしとひとつ違い……正確には十一ヶ月半違いのメイ姉は、あたしと性格が似てる様で少し違う。外見はおっとりしてるみたいで意外に行動派だし、その逆に見える時だってある。そして、いつからか、あたしと同じ髪型にしてみたり、突然違う風に変えたりと、服装も含めてめまぐるしく外見が変わる。でも変わらないのは、胸の大きさ、ほくろの位置、何より、あたしと同じく、すらっとした目鼻立ち。双子に間違われる事だってある。それが誇りであるかどうかは別として。
 そんなメイ姉は、近頃伸ばし始めたセミロングの髪を……あたしの頬をくすぐる位そばに近付け、何をするとでもなく、じっとあたしを抱きしめていた。
 つつっと、暖かくねっとりした感触が首筋を伝う。この舌遣い……何でこんな時に、とあたしは困惑する。メイ姉があたしをからかって、その内本気何割かで、あたしをこうやって弄んで、あたしからの“反撃”を待っているんだ。でも今はそんな元気も出ない。知ってか知らずか、メイ姉は肩口にちゅっと唇を這わせ、キスをした。
 やめて。今は。後でなら幾らでもいい。でも今は……。
 抗いきれず、あたしはぼおっとした頭でメイ姉の腕をゆるく抱きしめると、近寄った頬に口吻をした。待っていたみたいに、メイ姉は微笑んだ。目も笑ってる。本気で嬉しい証拠。あたしのロングの髪をすくい取ると匂いを嗅ぎ、そのままあたしの唇を奪う。ゆっくりと、味わう感じに。舌を絡ませる。本当に風邪うつるんじゃ、と思いつつも、身体が先に動く。舌先を撫で回す。くちゅくちゅといやらしい音を立てて、身体を絡ませ、ぁふぅ、と艶の有る吐息を漏らす。
 いつだって、そう。
 メイ姉は、いつだって……。

 小一時間の“じゃれ合い”を終え、二人一緒にベッドで横になる。顔を間近に寄せてメイ姉が小声で囁く。
「こう言う時、誰か居てくれると心強いよね」
「って、何で言うの。それあたしの台詞じゃね? 何で目キラキラ輝かせてるの」
「だって、風邪はうつすと治るって言うし、その時はね。愛情たっぷりの看病を」
「そう言う事なの?」
「いやそれも少しはあるけど、やっぱりほらー、わかるでしょー?」
「ああもう……」
 言いたい事は分かる。けど。
 まるであたしの心を見透かしたかの様な、瞳の輝き。
 やっぱり分かってるんだ。たった一人の、あたしの姉だし。
 あたしは収納棚を開け、中の小箱から鍵を取り出して、メイ姉に握らせた。
「およ? この鍵はもしかして」
「ここの鍵。渡すかどうか迷ってたけど、メイ姉なら」
「それを待っていたんだよ、我が妹よ」
 メイ姉は格好付けてみせた後、とびっきりの笑顔であたしに抱きつき、もう一度唇を重ねた。
 やっぱり、そう。
 メイ姉は……。

end

姉妹百合。
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