運命のひと



 「運命のひと」
 と呼ばれる女(ひと)が居る。何でも彼女はリアル「縁結びの神様」みたいな人で、結ばれる運命の二人を瞬時に見分ける事が出来るのだとか。
 一見オカルトじみたこの話も、キャンパスでは「彼女にお願いしてみたら彼女が出来た!」「遂に両思いに!」などと感激の声(笑)が聞かれるので、まあどうなんだろう。
 それよりもあたしは……気になる事があった。

 彼女、いつも下を向いて……笑わない。悲しそうな顔をしている。
 講義が終わると、真っ先に教室を出て行く彼女。友達も居ないみたい。あてどなく街を彷徨う訳でも無く、図書館だの、人の居ないスーパマーケットだのを最小限巡るだけで、すぐに下宿先に帰ってしまう。
 それで、たまに「縁結びの神様」とか担がれて、嫌々ながらに合コンとかに付き合わされる彼女。
 本当にそれで、楽しいの?

 夏の終わり。
 部活の合同合宿で、キャンパスの「フィールドアネックス」要は「合宿所」で一緒する機会に恵まれた。あたしは思いきって声を掛けてみた。
「ねえ、天野さん」
 これが彼女の苗字。下の名前は、なんて言ったかな。
「夕映(ゆえ)」
 彼女から答えが返ってきた……ってエスパー!?
「あっゴメン、なんか気を使わせる様な事して。天野……夕映さん、今夜は暇?」
「貴方……」
「あっまたゴメン、名乗ってなかったよね。あたし……」
「椿……椿、多香子さん」
「えっ? よく知ってるね」
「うん。見てたから」
「え?」
 答えを聞く間もなく、グループの仲間に、夕映さんが呼ばれた。彼女は暗い表情をして、じゃあねと手を振ってその場を後にした。

 夜も更け……当然血気盛んな学生が集まる以上、タダで寝る訳がない。布団の上で賭けゲームを始める「平和的」なグループ、枕投げとかちょっと子供じみた(それでも平和的な)グループとか様々。そして、二人一組でひっそりと闇に消えていく……これまた別の意味でお盛んな人達が何組も。夕映さんは、その人達に囲まれていた。
「俺達どうなの? うまく行く?」
「あたし達デキてるよね? どうなの? 教えて!」
 男も女も、言う事が欲情塗れで下劣過ぎる。
 夕映さんはただ黙って、首を振ったり、頷いたり、指差したり。それで大半は納得してその場を後にする(その後何処で何をするかは知らないけど)。でも夕映さんの答えに納得出来ない人も何人か居て
「ふざけるな!」
「人をおちょくってるとぶっ飛ばすぞ!」
 とか脅してる。特に後者の台詞、“淑女”の言う言葉じゃないね。ヤンキーかよ。まあ、この大学はそれなりの偏差値ですけども。
 ああ、夕映さん泣きそう。
 もう見てられない。
 あたしは唾を飲み込むと、ふっと気合の息を入れて、さあ突撃。ずかずかとその場に割り込んだ。
「みんなちょっとゴメン。あたし、彼女に用あるから」
 そう言いながら、夕映さんの手を掴んで……走り出した。
「おい椿、何処行くんだ!」
「こらぁ、天野さんは置いてけ!」
 非難に怒号は承知の上。あたしは夕映さんを引っ張って、その場から遁走した。

「ここまで来たら、誰も追ってこないよ」
 汗だくで微笑むあたし。大学の三号館の屋上にあたし達は居た。ここは他の校舎よりも高い場所に有り、階も多いせいで、他の校舎からは見えない。そして誰も知らないけど屋上の鍵が掛かって無くて、いつ行ってもあたし一人だけの時間を過ごす事が出来た。もっとも、三号館は大学のエライ人の応接間やら理事長室とかがあるから、忍び込むのも結構面倒なんだけど。こう言う時、偶然にもうまく潜り込めて本当、ラッキー。
 同じく汗だくで、息を切らせる夕映さん。
「あの……別に良かったのに」
 夕映さんはいつもの辛そうな顔を見せた。
「どうして? 明らかに絡まれてたじゃん。あんな他人同士の事、ほっとけばいいよ。何で夕映さんが悲しむの?」
「それは……」
 言い淀んでからしばしの間。そうして夕映さんは、うつむいた。
 何か、こそばゆい。
 あたし達の息切れが治まりかけた時、夕映さんは呟いた。
「私の言う事、信じます?」
 夕映さんは、ちょこんと体育座りをして、あたしをチラ見した。その姿、可愛い。栗毛色のロングが風に靡いて、少しミステリアスな印象も受ける。そして童顔な彼女らしからぬ、真面目な表情。
「信じるって、何を?」
「私が言われている事」
「リアル『縁結びの神様』、とか言う噂?」
「あれ、少しだけ本当」
「え」
「信じて貰えないだろうけど……私ね。恋人同士が繋がっているのが、見えるの。『赤い糸』って話知ってる? お互いの小指と小指に糸が……って、あれ。私が見える人同士なら、確実。逆もそう」
 あたしは言葉を失った。
 赤い糸が見える人なんて、オカルトを超えてる。ファンタジーの世界。でも、彼女には見えているなんて。
 驚きっぱなしのあたしを後目に、夕映さんは自嘲気味に笑った。
「信じる訳無いよね。こんな話」
 それならそれで、聞いてみたい事もある。疑問が思わず口に出る。
「夕映さん、そのエスパーじみた能力、隠さなかったの?」
「小さい頃から見えてたから……。小学校入ってから色々ヤな事あって、それからずっと隠してたけど、たまたま大学に、昔の事知ってる人が居て、噂が……」
「そうだったんだ。辛いね」
「有り難う。そう言ってくれるのは貴女だけ」
 どきりとする事を平気で言う夕映さん。心が揺さぶられる。
「でも、良いのに。私の事なんか」
 ぼそっと呟いた夕映さん。
 そこで、はっとあたしは我に返った。その話が本当なら……はっきり分かる筈。
「ねえ、夕映さん」
「どうしたの?」
「夕映さんとあたし……その、赤い糸で繋がってないかな」
 絶句する夕映さん。
 当然だよね。オトコとオンナならまだしも、女同士なんて。
 それにしても、我ながら最悪の告白の表現方法だわ。しかもいきなり。そりゃ夕映さんも絶句するよ……。
「繋がってない」
 ぼそっと言う夕映さん。
「やっぱり、ね」
「そもそも、私も貴女も、糸なんて……」
 階下の喧噪……合宿所から微かに聞こえて来る……が、風に乗って耳に入る。はあ、と溜め息をつく。
 でも、あたしは諦めない。
「夕映さん」
「多香子さん?」
「は、はい?」
 急に名前を呼ばれて、逆に声がうわずってしまう。夕映さんはあたしに疑問を投げかけて来た。
「どうして、私が好きなの? 女同士なのに?」
「好きなものは好き、じゃ答えになってない?」
「それは……」
 困った顔をする夕映さん可愛い。また疑問が湧いたので、聞いてみる。
「夕映さんは、例えば同性同士の事、見た事有るのかなって」
「有るけど……大抵は言わない方が良いかなって」
「じゃあ、私達がそうでも、問題無いよね」
「でも、繋がってない」
「ううっ……」
 にべもない夕映さん。
 だけど、夕映さんは夜空を見上げて、呟いた。
「多香子さんが、私だけをずっと見ていてくれた事。それは知ってる」
「えっ」
「図書館に。買い物に。家のそばまで……」
 やだ、なんか全部ばれてる。逆にばっちり見られてるじゃんあたし。ストーカーじゃんあたし。恥ずかしさで顔を手で覆ってしまいたくなる。けど、夕映さんは、あたしを見て、微笑んでくれた。
 初めて見た。柔らかな、偽りのない笑顔。思わず抱きしめたくなる、胸を焦がす、それでいて爽やかな、美しい表情。
「私の事、そこまで想ってくれてるって、とても嬉しかった」
「ど、どういたしまして」
 しばしの沈黙。そして、夕映さんは言った。
「でも、どうにもならないわ……」
 顔から笑みが消えかける。あたしは、その笑顔を取り戻したかった。否、あたしだけの笑顔にしたかった。だから、言った。
「なる」
「え?」
「だって、あたし、夕映さんの事が好きだから……夕映さんも、あたしの事、好きになって」
「それは……」
 夕映さんゴメン。
 あたしは彼女の唇を塞いだ。肩を抱いて、強引に、少し痛いくらいの勢いで、夕映さんを押し倒して、キスを繰り返した。
「こ、こんな所で……」
「あたし、夕映さんの為なら何でもする。だから、夕映さん」
「多香子さん……そんな涙目にならないで。私まで悲しくなる」
「悲しくなるって事は……同情じゃないって事でしょ? なら、良いよね? あたし達」
 夕映さんは、目元に涙を浮かべた。それが嬉しさ半分、もう半分は悲しさだって分かってる。せつなすぎるよ、こんなの。でも、あたしはもう我慢出来ない。せめてこの場だけでも。
 夕映さん。
 夕映さん。
 あたしは出来る限りの愛情を夕映さんにぶつけた。夕映さんは、なすがままだったけど、最後の方では、あたしの肩にそっと腕を回してくれた。嬉しい。

 やがて、合宿所の賑わいも落ち着きを取り戻した頃……あたしは夕映さんを連れて、校舎を出た。駐輪場に留めていたあたしのバイクに夕映さんを乗せて、真夜中と明け方の境界線の時間、軽やかに走り出す。
「多香子さん、何処行くの? 合宿所には荷物とか」
「必要?」
「それってどう言う……」
「あたし達に必要なのは、お互いだけだと思う」
「う、うん……でも」
 あたしはヘルメット越しに、夕映さんを見た。
「夕映さんが見るのは、確かに、人の“運命”かも知れないね」
 あたしの言葉に、夕映さんは頷いた。
「そうね。運命に逆らおうとしても、かえって他との結びつきは強くなる。貴女も……」
「けど、あたしは、あたし達は、その運命ってヤツと、戦う」
「た、戦う……?」
「そして勝つ。勝ってみせる。夕映さんとずっと一緒に居られるなら、あたしは何処にだって行ける。何だってする」
「多香子さん……」
 夕映さんはあたしの決意を聞いてなかば放心状態だったけど、突然何かに弾かれた様に、自分の指を見た。ちらっとあたしの指も見た。そして、くすっと笑った。
「どうかした、夕映さん? あたし、何か変な事言ったかな?」
「ううん。何でもない。……この赤い糸、たまに」
「え? 何て?」
 夕映さんは、柔らかな笑みをあたしに向けた。余計に惚れてしまうっ! バランスを崩しそうになるけど、何とか持ち堪える。
 あたしの腰に腕を回した夕映さんは、あたしに言った。
「行きましょう、多香子さん。私、朝焼けの空が見たいな」
「良いね。海まで行こう。ひとっ走り! しっかり掴まってて!」
 フルスロットルで、街中を抜ける。
 夜空の一方が、少し明るくなり始めた。日の出は近い。でもここからなら、近くの海岸で見られる筈。彼女の希望。

 夕映さんとあたしの旅は、始まったばかり。あたしの“運命のひと”との、旅。

end

「赤い糸」のお話。
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