パンケーキ


 いつもの様にあたしは台所……大して広くはないけれど……に立ち、本のレシピをなぞりながら、食材を計量し、混ぜていく。
 今日は午後から暇になったので、たまにはと思ってパウンドケーキでも作ってみようかと、そう言う次第。
 パティシエをやっている伯父と伯母からこのレシピを教わった時、面白い事を聞いた。
「良いかい? ケーキの分量は、決められたものなんだ。変えてはいけないよ。もちろん、デコレーションや飾り付けなんかは自由で良いんだけど、生地のもととかは、昔から色々試行錯誤して、これと決まった不変の定理みたいなものだから、そこは必ず、きっちりと守りなさい」
 先人の知恵って奴? 確かに、生地の数量は一定、何かの法則でも有るんだろうか。
 しかし、あたしがケーキ作りをやると、まるで化学の実験か何かだ。一グラムの誤差も許さぬ勢いできっちり量り、レシピの通りにしっかりかき混ぜ、道具に生地を流し込む。……本には「ざっくり混ぜろ」って書いてあったけど、まあいいか。
 そうやってるうちに、オーブン(小さいけど)が温まった。早速生地を流し込んだ型を中に入れる。これであと五十分程度じっくり焼けば、出来上がり。
 オーブンの扉を閉め、ふう、と一息ついて、早速使った道具の片付け。……と思ったら玄関がやかましい。銀が帰って来たか。
「聞いてよドラえも〜ん!」
「誰がドラえもんだ」
「ノリが悪いなあ、由那さんは」
 カバンを適当に放り投げると、銀はあたしに抱きついてきた。よく見ると、服も髪もぼさぼさだ。コントみたいに爆発に巻き込まれでもしたか。銀はあたしに泣きつくみたいに、言葉を繰り返した。
「話、聞いてよ〜」
 いつに増して我が儘な銀。ちょっと涙目だし。もっとも、“我が儘”なのはいつもと同じなのだけど、こう言う時はどうすれば良いか。
 知ってるあたしもあたしだけど。

 まずは、よれよれの銀を風呂に入れた後、甘めに作った紅茶を用意する。こう言う時の銀は烏の行水みたいにえらい早く出てくるから、支度も早くしないと。
 そうして、二十分経たずに出て来た銀に紅茶を飲ませてる間に、先程の材料で余ったものを使い、適当にパンケーキのようなものをフライパンで焼き上げる。焼けたら熱々のうちにバターと蜂蜜を載せ、銀に渡す。受け取るなり、無言でもしゃもしゃと食べる銀。
 そう。
 彼女に何かが有った時には、まず甘いものを食べさせる。そうすれば、感情と本能がどす黒く渦巻く奈落から這い上がって来て、少しは話せる様になる。しかし、あたしは何でそれを知ったのか、そして覚えてるのか……。
 少し落ち着いたのか、あらかたパンケーキをたいらげた後、銀は堰を切った様に、だーっと話し始めた。
「……でね、今度の店長が酷いんだよ。私もうバイト辞めようかと思って」
「辞めて、次のアテあるの?」
「無い」
「そっか」
「今、不景気だからさ。なんかあんまり良いバイト無いんだよね」
「ニュースじゃ景気が上向きだって……」
「そんなの嘘に決まってるじゃん。ハロワ行ってみなよ。もう、凄いから」
「銀は行ったのかよ……」
 相変わらず普段の行動が謎だ。
 銀はあたしにお構いなしに最後の一切れをもぐもぐと食べると、ふいーと一息付いた。
「はー、美味しかった。由那は私の好みホント何でも知ってるよね。ホットケーキにさくらんぼ載せるのは嫌いとか」
「用意するの面倒だから家では載せないだけ」
「ホットケーキは蜂蜜とバターが一番好きだとか」
「まー、普通だし」
「いやいや、最近は生クリームとかアイスとか、メープルシロップだとか色々デコレーションするんだよ」
「知ってる」
「前にも二人で行ったじゃん、有名な喫茶店。で、美味しいって食べたけど、結局は一番シンプルなのが良いって事になるんだよね、不思議」
「……そうだな。何でだろ」
 ごちそうさま、と銀は空になったパンケーキの皿をあたしに差し出した。満足げだ。
 食べて落ち着いたのか、愚痴を言ってすっきりしたのか、銀はいつもの感じに戻っていた。たまに銀はこうなるから、面倒見てやらないと……とか思うのはあたし的にどうなんだろう。
「おや由那さん、何か焼いてる?」
「パウンドケーキ。あと少しで焼けるよ」
「食べたい!」
「だめ。まず型から取り出して、粗熱取らないと」
「そういうもん? 面倒だから手づかみでそのまま貪り食うのを提案します!」
「野生児か。つうかマジで熱いから手を火傷するよ?」
「由那さん私を火傷させるつもりだったの!?」
「どうしてそうなる。自爆だろうに」
「そうやって私のハートを火傷させるつもりだね?」
 何故か営業回りのアイドルっぽいポーズを取っている銀だが、あたしは露骨に目を逸らした。
 その時ちょうど、オーブンの音が鳴った。きっかり時間通り、焼けた合図だ。
「さてと。ちょっと銀どいて」
「……嫌だと言ったら?」
「どつき倒す」
「由那さん酷いわ!」
「てかケーキ取り出せないだろ! そこ邪魔だから退けって」
「私とケーキどっちが大事なの?」
「意味分からん。銀がそこ退かないとケーキ焦げて不味くなるぞ」
「……ささ、どうぞぐいっと」
「何が『ぐいっと』だ」
 突っ込みながらも安堵するあたし。  ……ああ、普段の銀だ。
 まあ、これで良いんだけど、ちょっとうざい時も有るから面倒だ。
「む? 今私の事うざいとか思わなかった?」
「エスパーか。てか目の前うろうろされても危ないから」
「由那のいけずー」
 言いながらフローリングにごろごろ転がる銀。だだっ子だ。
「どっちがよ」
「ま、由那のはじめては私が貰ってあげよう」
「パウンドケーキの話ね」
「今はそう言う事にしといてあげよう」
「何、その上から目線」
 会話を続けながら、パウンドケーキを取り出す。そっと竹串を刺して、火の通り具合を……よし、うまく焼けているみたい。型からぽんと皿に出す。ふわっと湯気が、甘い香りを伴って上がる。そこに、熱いうちにラム酒をハケでさっと塗ると、独特の素敵な香りが残るからささっと。あとは冷めたら切り分けて……
「私ホイップクリームでいいよ」
「まだ何も聞いてない」
「由那もそうやって食べるの良いって言ってたじゃん、前に」
「そうだっけ?」
「由那の事だったら何でも知ってるし覚えてるよ」
「それはどうも」
「で、ケーキはまだ?」
「慌てるアホタレは貰いは少ないって諺知らない?」
「由那さんが私をいじめる」
 付き合いきれん……。
 マグカップにインスタントのコーヒーを淹れると、ずずっと一口すする。ふう、今度こそ一仕事終わり。
 銀は興味深そうにパウンドケーキを見ている。その様子をあたしがしっかり監視してないと、不意にちぎってぱくついたりするから困る。

 でも、あたしは知ってる。
 銀は、パウンドケーキよりも、さっき適当に作ったパンケーキの方が好きな事を。
 何でだろうな。あたしも銀の事、結構詳しいじゃん。
 参ったな。

 そんな事を考えているあたしを知ってか知らずか、銀は朗らかな笑顔をあたしに向けた。
 何故だか直視出来なくて、あたしは微妙に視線を逸らした。彼女の笑顔は視界の中に入れたまま。

end

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台所での日常的ひとこま。二人のシリーズはこれで10作目になります。
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