ふたりの関係


一、

「んー、良い天気」
 ミカはいつもの公園に来ると、いつも座るベンチに軽く腰掛け、背伸びする。ふわあ、と湧き出るあくびをこらえきれず、口を覆った。
 ようやく会社の業務から開放された。しかし二時間後にはまた勤務が待っている。
 陽の光が目の奥に差し込み、鈍い痛みを感じる。思わず手で陽射しを遮る。そうして、不意に痒みを覚えたベリーショートの髪をかっと掻く。
 正直イカレてると思う。残業どころではなく、会社に泊まりがけが続き、ろくに家に帰ってない。
 でも稼がないと。今は踏ん張り時。稼いだら、そう。ミカの夢の為に。今は貴重な休憩時間。五分で食事を腹に詰め込み、残りの僅かな時間を休息に宛てる。

 ちらっと横を見る。公園の隅、遊具にもたれかかってぼんやりと空を眺める、一人の娘。
 ……あの子、また居る。
 多分向こうも同じ事考えてる。そんな目をしてる。
 中学生かそこら……まだ大分幼く見えるけど、こんな時間に何故? ミカはいつも疑問に思うも、声を掛けるのが躊躇われた。
 小顔で、整った顔立ちの娘。目鼻がぱっちりしていて、ちょっと軽くメイクしただけで「化ける」と直感する程の素質。ロングの髪が風に靡く。以前何処かで見た様な印象も受けるが、多分気のせいだろう。
 いつも着てる服が大体一緒。家出してる? でも、一日中居る訳ではないし、夜になると何処かに消える。まるで真昼に現れる妖精。
 けれどやつれてる感じもしないし、お金に困ってる感じでもないし……まさか援交でもしてる? それなら早く警察か何処かに、とも思っても、そこまでミカに踏み込んだ事は出来ない。いつもちらっと様子を見るのが精々。
 相手もそんな感じで、こっちをちらっと何度か見て、それでお終い。
 その日も、ミカが転た寝をしている間に、ふいと娘は居なくなった。

 その日は、天気が微妙だった。同僚はせっかくだからたまには何処か食事でもと誘ってきたが、ミカは気になる事が有って丁寧に断ると、折り畳み傘を鞄に忍ばせ、いつもの公園に向かう。
 ……やっぱり居た。今にも雨が降り出しそうなのに、どうしてこの娘はここに? ミカは気になった。
 いつものベンチに座る。ぽつり、と一滴の雨粒がミカの太腿を叩く。
 同じく、いつもの遊具にもたれ掛かる娘を見る。まだ雨が降り出した事に気付かないのだろうか?
「ねえ、貴女」
 ミカはさっと開いた傘を差し出すと、傘に娘を入れた。
 はじめ鬱陶しそうに見上げた娘だったが、立ち上がると、尻に軽く付いた砂を払う。
「雨、降り出したんだ。気付かなかった」
 ぼそっと呟いた。
 初めて聞く、大人びたハスキーな声。姿から想像しにくい声色。ミカはごくっと唾を飲み込む。
「雨に降られると風邪引くよ。何なら……」
「いい。ありがと」
 それだけ言うと、娘はミカの横をすり抜け、だっと走り出した。そのまま何処かへ居なくなった。
 微かにミカの鼻先を掠めた髪から漂うシャンプーの香りは、印象的なものだった。

 翌日。晴天が戻り、ベンチはどうにか座れる程度に乾いていた。ミカは昨日の事が気になり、公園を訪れた。
 居た。
 まだぬかるんでる遊具の脇に、所在なさげにもたれかかっている。
「ねえ」
 ミカは声を掛けた。振り向かないので、ミカは娘の横に立った。娘はちらっとミカを見た。
「なんなの?」
 トゲのある言い方。普通の神経の持ち主なら、喧嘩になってもおかしくない。しかしミカは……いつもそこに居る彼女に興味を持った。だから、きっかけを作った以上、踏み込みたい。
「一緒にお昼でもどう?」
「えっ」
「お昼は食べない主義とか? 良ければ一緒にサンドイッチでもどう?」
 ミカはベンチに向かうと娘を隣に座らせ、自分が食べる予定だったサンドイッチを押しつけた。
 はじめ無言で一口食べたが、ちょっとびっくりした感じで、ミカを見た。
「何これ美味しい」
「でしょ? たまに移動販売で来るお弁当屋さんの一押しでね」
「良いの?」
「いつも一緒の公園に居るし、たまには良いんじゃない、こう言うのも?」
「うん」
 娘はもくもくと早食いすると、ふうと一息付いて、ミカを見た。
「美味しかった。ありがと」
「いえいえ。お礼に名前聞かせてくれると嬉しいな。私はミカ」
「……マイ。『舞う』に『衣』って書く」
「教えてくれて有り難う。良い名前ね」
「そうかな」
「自分の名前、嫌い?」
「別に……」
 そこで、ミカのスマホが鳴った。さっと片手で操作すると、相手と話をする。
「えっ今からですか? ……分かりました。給料上乗せですよ?」
 それだけ言って懐に仕舞うと、席を立った。
「仕事?」
「そ。休む暇が無くてね」
「顔見れば分かるし。臭いで分かるし」
「えっ……やだ、私臭ってる?」
「気付かない辺りどうかしてる」
「今夜はシャワールーム借りるか……そう言えば」
 ミカはマイに顔をちょっと寄せると、すん、と少し香りを確かめてみた。
 ……違う。
 この前の爽やかなミントの香りじゃない。濃厚なクリームみたいな香り。
 どうして?
 聞きたかったけど、初めての会話で根掘り葉掘り聞く訳にもいかず……仕事も待っている。
「じゃあね。臭い教えてくれてありがとね。また会えるといいんだけど」
「お姉さん、面白い人だね」
「ミカでいいわ。じゃあね、マイちゃん」
 微笑むと、ミカは慌ただしく会社に戻った。

 その日から、少しずつ、二人の距離が縮まった。
 今日はサラダ丼、次の日はカレー、翌日はクラブサンド……職場近くに来る移動販売のランチを二人分買っては、足繁く公園に向かう。
 そこに必ず居る、その娘に逢う為に。




二、

 その日は二人一緒にキーマカレーを食べながら、空を見上げていた。
「空はこんなに青いのにね」
 ぽつりとマイが呟く。
「どうしたの? 何か悩みでも? 今なら無料大サービスで聞いてあげるけど」
 ミカはカレーを食べつつ、マイに言った。
「うん……お姉さん……ミカさんに言っていいのかなーって」
「今更遠慮する仲?」
「それってどう言う?」
「だって」
 ミカは笑うとスプーンを口から離し、言葉を続けた。
「お互い知ってるのは下の名前だけ。メアドも携帯の番号も知らない。ただ、この時間帯に必ず居るって事だけ。違う?」
「うん。まあ……」
「逆にそう言うのって気兼ねしない方が得よ? 私はそう思うけど」
「ミカさん、カッコつける方?」
「え、気障な事でも言った?」
「いいなー、そう言う性格」
 マイはふう、と溜め息を付くと、キーマカレーの残りを頬張る。そうしてさっと食べ終わると、ありがとう、と礼を言ってから、ぽつり、と呟いた。
「あたし、居場所無いから」
 ミカは色々言いたかったが、続きを促した。
「昼はここで暇潰し。空のね、雲の形見て。夜だけ、友達の家に泊めて貰ってる」
「転々としてるってこと?」
「そ」
 ……だからシャンプーの香りが違ったんだ、と納得するミカ。最悪の想像が外れて少しほっとしている自分に気付き、少しどきっとする。
「ミカさん、どうしたの、そんな顔して」
 マイがびっくりした顔でミカを見ている。
「いや、大変なのねって」
「それだけ?」
「そんな大変なら、ウチに泊めてあげたいけど……仕事がね」
「ミカさん、そう言えば仕事凄い忙しそう」
「分かっちゃう?」
「だって女なのにシャワー浴びれない程でしょ? 家とか全然帰ってないでしょ?」
 この娘鋭い。ミカはマイを見た。
「そうね……最後に帰ったのいつだったかな」
「それヤバくない? ブラック企業ってやつ?」
「まあ、帰れないって意味だとそうだけど、その代わり給料は良いから」
「ミカさん何の仕事してるの? どこに住んでるの? 一人暮らし?」
 今度はマイの方から聞いてきた。
「普通のOLよ」
「普通じゃないし」
「住まいはこの近くの駅から、四つめの駅で降りて、徒歩十五分くらいのとこ。アパートよ」
「もったいないなー」
「私の代わりに住む?」
「え」
「冗談よ。流石にそこまでは……でも」
「?」
「貴女が必要なら、鍵貸しても良いけど?」
 マイがいきなり笑った。
「なに、ミカさん誘ってる? あたし誘惑してる?」
「そういうつもりじゃ」
「でも、貸してくれるなら借りてもいいな」
「何その上から目線」
「あ、そういうつもりじゃなくて」
「じゃあ、次の休み。何時取れるか分からないけど、その時は私の家に招待するわ。一日ゆっくりしていくといいわ。友達って言っても、何度も押しかけたら行きづらくならない?」
「それは……まあ」
「じゃあ決まりね」
 ミカはスマホを取り出すと、会社の上司と交渉を始めた。ずっと帰宅してないので、たまには帰る時間を、有り体に言うと休みを下さい、と。なら一週間後に考える、と言われたので、決まりですねと念を押して、通話を終える。
「よし。来週有休取った」
「そういうもんなんだ。会社って」
 呆れ気味のマイ。
「ウチの会社普通じゃないから」
 ミカは笑った。
「じゃあ、一週間後に決まり。ここで待ってて。迎えに来るから」




三。

 その日の午後、ぎりぎりまで仕事を押しつけられたミカは昼飯も買わずに、慌てて公園にやって来た。
 ……居ない。約束したのに。マイが居ない。
 辺りを見回す。
 もっと早く来るべきだったか。
「遅い」
 聞き慣れた声にぎょっとして振り返る。マイだった。いつもの服……だけど、ちょっと雰囲気が違う。それよりも、居てくれた事に安堵する方が先だった。
「ああ……良かった。ごめん、遅くなって」
「遅いよ。約束すっぽかされたかと思った」
「ゴメン」
「遅くなったら連絡くれたら良かったのに」
 マイは言った後、はっと気付いた。ミカは笑った。
「メアドと携帯の番号、交換する理由出来たね」

 電車に揺られ、約九分程で目的の駅に降り立った。典型的な商店街が脇に並ぶ、所謂「住宅街」が広がっている。
「お昼食べてないでしょ? 私もなんだ。何か食べてく?」
「それよりミカさん、目にクマ出来てる」
「えっ、ホント?」
 マイに言われて目の下を擦る。
「前から思ってたけど、メイクで隠し切れてないから」
「言ってよ……」
「臭うし、目にクマあるし、かなり残念なOLだよね、ミカさんて」
「酷い言われようね……そういえばマイちゃん」
「?」
「今日の為に、おめかししてきたでしょ」
「ぅえっ? ど、どこが?」
「だって、いつもと髪のまとめ方が少し違うし」
 マイの髪に鼻を近付ける。
「良い匂い」
「ミカさん、匂いフェチ?」
「そんな事無いけど」
「とにかく、そんな格好で出歩くのもどうかと思うけどね、あたしは」
「分かったわよ。ひとまず家に帰りましょ?」
 路地裏を少し抜けて、着いたのは、「アパート」と「マンション」の中間位の、微妙な住空間。ぼろい、とまでは行かないが割と年季が入っている事が、アパートの仕切りの鉄骨の錆で分かる。
「ごめんねボロい家で」
 ミカは鞄から鍵を探し出すと、がちゃがちゃと何度か試して、ようやく開いた。
「はい、どうぞ上がって上がって」
「お邪魔、します」
 マイが若干引いてるのは分かる。女っぽくない、生活感の無さ。家具も少なく殺風景なその部屋は、まるで……。でも言い訳したって仕方ない。
 ミカはマイが気付く前に、写真立てに飾ってあった一枚の写真をそっと閉じ、タンスの奥へと押し込めた。そうして、慌ただしく玄関に戻る。
「もう、ちょっと帰らないうちにこんなにチラシが溜まって……」
 ミカは郵便受けに溜まった色々なモノを仕分けていく。マイがその中の一枚をすっと取った。
「今夜、これにしない?」
 近所のピザ屋のチラシだった。
「マイちゃん、ピザ好き?」
「だって頼むだけだし。簡単」
「まあね」
「ミカさん、料理出来ないでしょ」
「何で分かるの」
「台所、調理器具とか無いし」
「まあ、使わないからね」
「ほら」
「包丁とまな板と、鍋とフライパン位はあるけど」
「自慢になってないし」

 結局、ミカが入浴してる間に、マイがピザと飲み物を頼む事で決まった。マイは食後にシャワーを貸して欲しいと言うので、好きにして、と言った。
 久々の、我が家の風呂。仮住まいとは言え、こうしてゆっくり風呂に入るのも久しぶり。何だか寝てしまいそうだけど、寝ると大変な事になるから困る。湯船への未練もそこそこに、身体をごしごし洗い、シャンプーとトリートメントで髪を整え、すっきりして出た。

「あ、ミカさん」
「どうしたの。もう頼んだ?」
「肝心な事忘れてた。ここの住所知らない」
「ああ……そうだったね」
「あと家の名前も分からないし」
「そうよね」
 ミカは笑った。スマホを手に取ると、ピザ屋に電話し、マイが指差すピザを注文する。
「……えっと、それはハーフ&ハーフでお願いします。そう、Mふたつで。あとドリンクは……何飲む? ええっと、コーラとオレンジジュース」

「かんぱーい」
 二人だけの、ささやかな夕餉。
 熱々のピザに、よく冷えた飲み物。
 いつも公園で冷えかけたランチを取っていた二人には、天国に思われた。
「あ、美味しいね」
「ここのは友達の家で一回だけ頼んだ事有るけど、美味しかった」
「マイちゃん詳しいんだ」
「一回だけだから」
「もっと頼んで良かったのに」
「いつも奢って貰ってるから」
「今更どうって事ないって」
 ……そう。私は稼いでるから。
 その自負が、ミカを時に大胆にさせる。
 いつもは「ただお金を貯める」だけに集中していたのに、今日は何故だか、少し位パーッと使っても平気な気がして。
 その理由は、目の前に居るマイ。
 たらふく食べて満足そうな彼女は、安心したのか、うつらうつらと、ソファに寄り掛かって寝かけてる。そっと毛布を掛ける。その柔らかな感触に気付いたのか、う……と声を上げる。
「眠いなら寝た方が良いわよ」
「すぐ寝ると身体に……」
「大丈夫よ。お風呂なら起きてから入れば」
「じゃあ、そうする」
「ちょっと待ってて。枕とお布団持ってくるから」
「本格的に寝させようとしてるし」
「寝たい時に寝るのが良いの……私も眠い」
「え、一緒に?」
「布団はひとつ」
「じゃあ」
「遠慮せずに」
「意味分かんない……」
 マイは眠気に抗いきれずに、そのままくたっと寝てしまった。ミカは彼女をよいしょ、と抱きかかえてみてびっくりした。想像以上に軽い。この娘、見た目以上に痩せてる。やっぱり……。
 布団にそっと寝かせ、毛布を掛ける。何だかいたたまれなくなって、そっと頬を撫でる。
 ……どうして、家に帰らないの?
 どうしてそこまで貴女を動かすの? その理由を知りたい。
 そして。
 もっと貴女を知りたい。
 ミカは以前からふつふつと沸いては理性と言う重しで押さえ込んできた欲望が、自分の中で揺らぎ、大きくなるのを感じた。
 手が伸びる。マイの髪をそっとすくう。香りを嗅ぐ。
 また違う匂い。でも、嫌いじゃない。
 きっと今日の為に何処かで……。
 布団の脇からちょこっと覗く手を見る。荒れてはいないけど、細く華奢な指先で、少し冷たい……。お互いの指を絡ませたくなる衝動を抑える。
 閉じた瞼、睫毛を見る。まだ成長途中の彼女は、その部分も繊細で……。思わず見とれる。
 まだピザソースが微かに残る唇を見る。微かに残る、精一杯のお洒落か、ルージュの痕が見えて、それがとても愛おしくなって、つい

 ミカは、マイの唇をそっと重ねた。

 はっと我に返って、ミカはすぐにマイを見た。単純に悪戯されてるのかと思ったらしく、ううん……と唸って寝返りを打つ。
 心臓の鼓動が早くなるのを感じるミカ。間も無く、重たい罪悪感が心を潰す。
 年端もいかない娘に何てコトを。
 でも、この娘……
 ミカは葛藤した。その葛藤、いや、邪念にも似た情欲を振り払うべく、さっきタンスの奥に押し込めた、一枚の写真を見る。
 そうよ、と思い出す。彼女はこの写真に写る相手と暮らす為に、全てを投げ捨ててただがむしゃらに働き、稼いできた。もうすぐ、家庭を持つ事が出来る。
 ……けれど。
 ミカは気付く。目の前で寝ているマイと、何処か写真の中に居る相手が妙に似ている事に。写る彼女の姿、目鼻立ちも、体格も……。
 偶然よ、とミカは思いたかった。けれど、彼女が手を引いている子が、否応なくミカの疑念に答えを突き付ける。

 それは……。

end

次作「ふたりの関係2」

とあるフォロワーさんのツイートを元に、私なりの解釈でタイムアタックSS化。
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