「珍しいね由那、昼間っからごろごろしてるなんて」
一通りの家事を終えて、さてお昼はどうしよう……などと考えながら腰を下ろしテレビをザッピングしていると、唐突に銀が帰って来た。そしてぶっきらぼうにこの一言と来た。
「家事は全部済ませた。銀こそどうしたの、バイト行ったんじゃないの。忘れ物?」
テレビのリモコンをテーブルにぽんと置いて銀の顔をちらっと見た。慌てた。何か泣きそうな顔してる。
「ど、どうした? 何かあったの?」
無言の銀。ばたんと無機質に閉まる玄関ドア。
慌てて立ち上がったけど、ふとした弾みでずっこけて銀によれよれともたれ掛かってしまう。これじゃどっちが泣きそうなのか分からない有様。あたしはこほん、とひとつ咳をすると、改めて銀の顔を覗き込んだ。
まだ何も言わない。いつもの口調はどうしたの。
銀は表情ひとつ変えず、立ち尽くしている。普段遭遇しない彼女の挙動に、少々の不安が過ぎる。
「……具合悪いって」
唐突に喋る銀。
「へ?」
意味が分からず聞き直すあたし。
「具合が悪くなったと言って帰ってきました!」
銀はそれだけ言うと、乱暴にバッグを下ろし、上着を脱ぎ捨て、ベッドにダイブ。ぼふっと、枕に顔を埋める。
……何か有ったな。あたしはそう感じた。ああ見えて他の子には意外に口べたで、人見知りで、それでいて妙に正義感の強い銀の事だから、バイト先で何かが有った、もしくは起きたに違いない。
バッグからこぼれ落ちた品々を戻すと、ベッドに腰掛け、突っ伏したままの銀の髪を撫でる。いつの間にか、ショートの髪も随分伸びてきた。今度一緒に美容室でも行くかな。と、それはさておき。
「銀、どうした? 嫌なら言わなくて良いけど」
何せ昼前。この前みたいにホットケーキを焼くって時間でもないし、さてどうしたもんか。
「シャワー浴びる?」
あたしの問いかけに、ずっと無言の銀。
「お昼、食べよっか」
その一言を聞いた銀は、こくりと頷いた。
前に豆腐屋さんで買っていたお揚げさんに、日本酒と醤油を一:一で割ってさっと振り掛け、トースターでこんがり焼き色を付ける。その間に、買い置きしていた冷凍うどんを茹でる。
出汁は確か……有った。関西風の白出汁の素が有ったので、それを割る。ついでに、冷蔵庫に転がっていた長ネギをみじんに刻んで、薬味に。ついでに余ってたショウガもおろし器ですり下ろしておこう。
お揚げさんが少し色が付いて来た頃合で、タイミング良くうどんが茹で上がった。出汁の鍋に移してさっと火を通して、どんぶりに移す。後はお揚げさんを載せ、薬味を付け合わせて出来上がり。簡単過ぎる、きつねうどんの完成。
香りを嗅ぎ付けたのか、銀はテーブルの前に座って待っていた。
「ほいよ。美味しいかどうかは食べてみてのお楽しみ」
銀はいただきます、とだけ言うと、いきなりお揚げさんにかぶりついた。
「お揚げさんに七味掛けると美味しいよ」
銀はあたしが差し出した七味の小瓶をさっと取ると、ぱらぱらと掛けて、またもかぶりつく。
良い食べっぷりだ。
あたしは銀の様子を窺いながら、ちまちまとお揚げさんを囓る。ふむ、塩加減は悪くない。醤油の香ばしさに、出汁を吸った甘さが加わって、店で食べる「きつねうどん」とはまた違った味わい。手作り感、とでも言えば良いかな。
薬味を見る。銀は予想通り小分けに用意した分を全部放り込みやがった。まあそうなる事を見越して量を少なめにしておいたのだけど。ネギは風邪に良いしショウガは体を温めるから、……って銀は風邪ひいてる訳じゃないか。
うどんは、冷凍うどんをただ茹でただけなので、まあそこそこ。最近の冷凍うどんはなかなかどうして美味しく出来てるもので、何かの時の為に数食分買い置きしてる。
暫く無言でうどんをすするあたしと銀。テレビも気付いたらスイッチ切ってるし。何か静かなもんだ。部屋で向き合って喋りもせずうどん食べてるあたし達、端から見たらどう映るんだろう。
銀は結構なペースでうどんを食べきると、出汁も全部飲み干し、ふう、と一息ついた。そうして
「おいしかった」
とだけ言うと、膝を抱えてうつむいた。
あたしもペースを上げて全部食べきると、お粗末様、と呟き、あたし達のどんぶりを片付けようとした。
銀の手が、突然にぐいと伸びた。あたしの腕をそのまま掴むと、凄い力で引っ張り込んだ。よろけるあたし。
そのまま体勢を崩すあたし達。そのままカーペットの床に転がる。まるであたしが銀に襲いかかったみたいな格好になる。何か変なの。
でも、さっきまでの銀を見てると、いつもと同じ様に突き放すのも気が引けて。
「……どうしたいの、銀は」
と、耳元で囁くあたし。銀の吐息を、頬で感じる。
刹那。
銀はがっしとあたしを抱きしめると、嗚咽した。
何かを愚痴る行為、それすらもさせない程の“何か”が有ったんだろう。
けど、あたしはこうやって銀を抱きしめて、頭を撫でてやるしか出来ない。それなりに長い間一緒に暮らしていても、分からない事は今も結構有る。
銀はあたしの胸に顔を埋めて、泣きに泣いた。
このやるせなさはどうすればいいの。
あたしはただ、銀を抱きしめて、頭を撫でた。
時計の短針が一回りした頃、銀はようやく落ち着いたのか、一言、呟いた。
「バイトで、嫌な事が有った」
そんな事見れば分かる。でもあたしはあえて、言葉を慎重に選んだ。
「銀は、それで痛い思いとか、した?」
「心が傷ついた」
「そっか。でも体が無事ならまだ良いよ」
「なんで?」
「銀が怪我したりしたとかなったら、あたし嫌だし。怪我させた奴に、何かするかも知れないし」
無言の銀。
「それに、心の傷なら……癒せる、と思うから」
外が微かに賑やかになった。屋根を伝って流れ落ち隣家の物置から聞こえる一定のリズム、どうやら雨が降り出したらしかった。
銀、もしくはあたしを思っての雨なら、何て慈悲深い天気だこと。
さーっとノイズの如くあたし達の周りを囲む雨音。
少しの沈黙を置いて、銀はぼそっと呟いた。
「本当にそう思って言ってる?」
「銀だもの」
優しく笑って見せる。そんなあたしを見た銀は、涙の痕をごしごしと拭くと、表情を変えて、言った。
「じゃあ、キスして」
そう言う彼女の顔が、……どう見てもにやけてる風にしか見えなかったあたしは、銀の額を小突いた。
「調子に乗んな」
銀は一瞬複雑な表情を見せた後、ふっと苦笑いして、あたしを見た。
「残念」
「あたしはそう安くないよ」
「由那さんのいけずー」
「でもまあ」
「?」
「飯位は作ってやるからさ。元気だしなよ。じゃないと、あたしも見てて辛い」
そう言ってあたしは身を起こした。最悪の状況は脱したみたいで、これ以上身を重ねる必要も無い。ヘンに誤解してもされても困るし……。
銀も、よたよたと起き上がり、改めてベッドに座り直した。そうしてあたしをじっと見て、言った。
「逆転大勝利かと思ったのにもうちょっとだったなー。でも、いいや」
「なにが」
「由那、言ったよね。ご飯一生作ってくれるって。それって遠回しなプロポーズ」
「そう言う意味じゃない」
「じゃあどう言う……」
何だか恥ずかしくなってきたあたしは、無言でどんぶりを重ねるとシンクに持って行った。
今何か言うと、余計な事を言いそうだし、それを銀が過剰に受け取りそうで。
踏み込めないあたしはヘタレだと思うし、踏み込み過ぎな銀もちょっと不器用。
まあ、それで良いんだろうけど。
銀は暫くテレビを点けてたけど、飽きたのか、風呂に入った。いつも通りの姿に、あたしは少しほっとして……
あの、肌が密着した時の事を思い出して……
参ったね。
そんなつもりじゃないのに。
ホント、あたしもめんどくさい奴だと思う。
そんな事をぼんやりと考えながら食器を洗いつつ、晩ご飯どうしよう、とか考えるのだった。
end
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