Witch Doctor 第3話

 エレンと史子は、ロンドンのカフェ……ガリアのパリ風にしつらえたものだが……に居た。隅っこの席に座り、道行く人々を眺めている。
「で、先生の固有魔法ってのは」
 ケーキをフォークで崩してもくもくと食べ、紅茶を一口飲んだエレンは口を拭いもせず史子に問うた。
「それ、前から何度も聞かれてるわね」
 苦笑いする史子。
「不可思議なモノは、より深く知りたいと思わないかい?」
 エレンの指摘。好奇心ともうひとつの何かが入り交じった瞳を見つめる史子。
「私自身の事は、私にも分からない事が結構有るのよ」
「分からないのにどうやって? きちんと使いこなして、患者を診てきたじゃないか」
「そうね。今までの経験、かしら」
「経験ねえ。そう言えば先生には、『先生』と言うか『師匠』みたいな人が居たとか?」
「私に先生、ねえ。……って何処で聞いたの、そんな事」
「いやあ、機密事項、なんてね」
「上官に機密事項を話さないウィッチはどうかと思うけど? なに、エレンは何か特命でも?」
「まさか、ボクなんかに」
 ははは、と乾いた笑いで場を誤魔化すエレン。
「全く……嘘偽りは良くないわよ?」
「先生の夢程じゃないさ」
「私の夢が偽り、と言いたいのね」
 片方の眉をぴくりと動かす史子。僅かな表情の変化を見逃さないエレンは、慌てて取り繕った。
「いや、そうじゃなくてね。何て言うかそう言う事出来るウィッチって希有だから」
「まあ、私なんて、戦いも出来ず負傷兵の錯乱を治すヘンテコな軍医程度にしか見られてないでしょうね」
 ぷいと横を向く史子。
「あぁ。そうやって怒る先生も可愛いな」
「誤魔化すと、痛い目見るわよ?」
「へえ、例えば?」
 史子はすました顔で紅茶を飲み干し、受け皿に置いた。
 刹那。
 カフェの窓ガラスが、全て粉々に砕ける。
 道側に座るエレンは、顔面にガラスの破片を浴び、顔を両手で覆った。そして背後にただならぬ気配を感じ、振り向く。
 一体の、大型陸戦ネウロイがそこに居た。甲殻類にも似た、多脚の禍々しい姿。
「な、何でこんな所に!? 軍は何をしてるんだ?」
 血まみれの顔も拭わず、慌てて拳銃を抜くエレン。
「こんな時に肝心の軍もウィッチも居ないって、どう言う事だ!? 何処から来た!?」
 辺りを逃げ惑う人々を庇いながら、ネウロイ目掛けて発砲する。だが戦闘向きでないエレンが放つ拳銃弾など、威力の程は知れている。
「アフリカ」
「へっ?」
 平然とした顔で椅子から立ち上がった史子の突然の呟きに、顔を向ける。
「砂漠で随分と苦しめられたって聞いてるわ、こいつに」
 陸戦型ネウロイを指差す史子。
「だから、それがどうしてロンドンに!?」
「貴方が確かめれば良いわ」
 とん、と背中を押されるエレン。ネウロイは銃口をエレンに向けていた。咄嗟にシールドを張る。
 ネウロイの実体弾が容赦無く浴びせられ、シールドは粉と破れる。そのまま、貫いたネウロイの弾は、エレンに到達する。
「ッ!」
 数秒経たぬうちに、エレンの身体は、僅かな肉片だけが残った。ごろんと転がる、頭蓋の欠片。


 がば、と飛び起きるエレン。はっと辺りを見回し、顔を拭う。
 顔面にこびりついていたのは、自身の血ではなく、汗。
 四肢も無事繋がっている。
 荒い息を整える。辺りを見回し、ようやく自身の置かれた状況を把握する。
 そう。
 ここはブリタニアの基地内病院。
 史子の診察室。
 そして彼女の横で、ゆっくりと背伸びをして起き上がるウィッチこそ、史子その人。
「どう? 久々のロンドン巡りは」
 悪戯っぽく微笑む史子を見、エレンはハンカチで顔を拭いながら苛立たしげに答えた。
「全く、お遊びが過ぎるよ、先生。死ぬとこだったじゃないか」
「もうちょっと踏ん張りドコロを見せてくれたら、少し話しても良かったんだけどね」
「性格悪いな、先生」
「エレン程じゃないわ」
 そう言うと、史子は拳銃を二挺取り出し、一挺をエレンの腰に差した。そしてもうひとつをエレンのこめかみに当てた。
「引き金ひいたら、どうなると思う?」
「死ぬに決まってる」
「じゃあ、早速試してみましょうね」
 史子は笑ってトリガーを引いた。こめかみを撃ち抜かれ、僅かに痙攣したエレンはその場に崩れ落ちた。


 うっすらと目を開ける。
 ここは、何処?
 天井の模様と建物の作りから、そこが史子の診察室だと気付くエレン。
 こめかみをなぞる。穴は空いてない。
 ふと、唇に何かが当たる。
 温かい。
 いつもの、懐かしい……唇の感触。
 そう、この主は……
「フーミン、酷いじゃないか」
 事の次第を察したエレンはうんざりした表情で起き上がった。
「ごめんねエレン。レクチャーするつもりが、ちょっと意地悪しちゃったわね」
 微笑む史子。
「ボクを二回も殺すなんて、先生どうかしてるよ。ドSだね」
「そんな私に律儀に付き合ってくれる貴方も、どうかしてない?」
「だって、ボクは先生みたいに何でも出来る訳じゃない」
「私だって何でも出来るって訳じゃなくてよ?」
 してやったりな表情の史子を前に、エレンは肩を落とした。
「まさか夢の中の、また夢だったなんて……じゃあ、あのロンドンのデートも夢?」
「そう言う事になるわね」
「あのネウロイも」
「あんなのがロンドンに居たら、今頃ブリタニアは終わってるわよ」
「ボクが二回も殺された意味は?」
「それは貴方が教えて欲しいって言ったから、少しヒントをね」
「訳が分からないよ」
 頭を抱えるエレン。
 史子は笑って、汗だくのエレンをそっと抱きしめ、頬にキスをする。
「詳しい話は後でね、助手君。二分間の“デート”、楽しかったわ」
「ああ、そうか……さっきの夢は二分で終わりだったね」
「短くなきゃ、私も貴方も夢の中で大変な事になっているわ……さて」
 史子は白衣の乱れを直すと、いつの間にか、ひとつのカルテを手に取っていた。ぽんとエレンの肩を叩く。
「さあ立って助手君。患者さんよ」

 ベッドに寝かしつけられた金髪の少女。身じろぎひとつせず、静かに寝ている。
「彼女の名はグレーテル・フォン・バウアー。階級は中尉。カールスラント陸戦ウィッチ部隊に所属。四月の戦闘中に右目を負傷するも治癒魔法等により回復。しかし五月の戦闘の二日後から、本日に経るまで起床しない、と」
 カルテに目を通し、患者の所属、現在の“症状”などを把握する。眼帯の下に隠れる目は既に治癒しているらしいが、念の為かまだ付けられている。
「単に眠いだけじゃないのかな?」
 エレンの疑問を一笑に付す史子。
「一週間もぴくりとも動かず寝続けてたら流石に問題よ。床ずれも酷いし」
「床ずれの方はボクがなんとか」
 ベッドの傍らには、部下と思しき数人のウィッチが取り巻き、「眠り姫」を心配している。
「あの、中尉は、治るんですか?」
「中尉がこのまま起きなくなったら私達……」
「凄く心配で。その、大丈夫なんですか?」
 口々に不安と懇願を口にする。
「大丈夫大丈夫、この子はきっと起きるから。少し、外で待っていてくれるかな?」
 エレンはそう言うと軽くウインクして、ウィッチ達を外に連れ出した。
 史子は患者の脈を取ったり呼吸を観察していたが、ふむと頷いた。
「結構眠りが深そうね。一応、目安は一時間半」
 戻って来たエレンに、史子は手筈を説明する。
「了解、先生」
「じゃ、後は宜しく」
「行ってらっしゃい」
 史子は手を繋ぎ、魔力を解放し、意識を集中させた。


 そこは風光明媚なカールスラントの森林地帯。山の尾根に、見事な城が建っている。
「まあ、素敵な場所」
 しかし人っ子一人おらず……そばを歩く、放牧されているらしい牛も、史子には興味なさげだ。
 暫くの間辺りを探したが、手掛かりすら掴めない。
「困ったわね。誰も居ない」
 何処からか、気配はする。しかしあえて姿を見せない。こちらの様子を伺っているのか。割と良くある話だ。
「じゃあ遠慮なく」
 史子はぱちんと指を鳴らすと、辺りにロンドンから切り出したかの様なカフェをどーんと再現させ、紅茶をついと飲んだ。
「わらわの場所で何をくつろいでおるか!」
 天から轟音が聞こえ、雷と共に降りて……落ちてきた者が居る。
「あら、やっとお出まし?」
 W号歩行脚を履いた一人のウィッチ。それが今回の患者グレーテル・フォン・バウアーその人である事は一目見て分かった。陸戦の強者であることは、その軍装、手にした砲を見れば明らかだ。
「扶桑の魔女か!? そなた、何をしに来た?」
「貴方と話をしに」
「話じゃと? ふざけるでない! ここはわらわの故郷。気易く来るな」
 怒鳴るグレーテル。
「故郷と言っても、人が居ないけど」
 辺りを見回す史子は、さらっと流しつつ紅茶をついと飲む。
「当たり前じゃ。わらわの城だからな」
「はあ……。使用人とか居ないの?」
「わらわ一人で十分だと言っている!」
 砲を向けられる。指はトリガーに掛かっている。史子はすかさず、すっと指で脚の辺りをなぞった。
「消えよ!」
 容赦無く放たれる砲弾。史子は両手を広げると、展開したシールドでしっかりと防ぎきった。
 同時に史子の脚に現れたのは、扶桑陸軍御用達、九七式歩行脚。前傾姿勢を取ると、軌道を回転させ、素早くダッシュする。
「扶桑のブリキ缶が!」
「どうかしら?」
 紙一重で、シールド無しに砲撃をかわす史子。九七式歩行脚はシールドの脆さに問題が有ると言われているので、何とかぎりぎりの機動力でカバーしようと言う寸法だ。
「カールスラントの軍馬を侮るでない!」
 グレーテルも本気を出したのか、距離を詰めるとここぞとばかりに砲撃をしてくる。腕は確かだ。並のウィッチなら被弾しているであろうし、小型のネウロイなら一撃粉砕といったところだろう。
 しかし、相手は史子。一気に距離を零に詰めると、すらりと抜き放った扶桑刀でシールドも構わず砲ごとばっさりと斬り捨てる。
 音を立てて転がる砲、そして歩行脚。脱げた歩行脚を捨て、素足で立ち尽くすグレーテル。
「剣とは卑怯な!」
「戦いに卑怯も何もないでしょう。最初に撃ってきたのは貴方だし」
「とにかく、わらわに触れるでない! 近付く事も許さん! 去れ!」
「それは困るのよ。少しで良いから話を」
「嫌じゃ!」
 グレーテルは裸足のまま、ぺたぺたと地面を走り、城の中へと消えていった。
「全く……」
 史子は刀を鞘に収めると、再び脚をなぞる。今度は紫電改が現れる。一気に飛翔し加速すると、グレーテルを探す。

 グレーテルが消えた城。門は開け放たれていた。
 潜り抜け、中を用心深く進む。
「何処へ行ったのかしら……」
 ちりちりと頭の奥で嫌な感覚に襲われる。咄嗟に扶桑刀を抜き放ち構える。
 真正面からの銃撃、そして背後からもほぼ同時に受ける。
「ぐっ!?」
 背後はがら空きだったので、まともに食らってしまう。左の肩口に強烈な痛みを感じ、ごろっと地面に転がる。そのまま紫電改を脱ぎ捨て、右手で刀を構え直す。
 何故二方から挟撃された?
 真正面からの銃弾は、MG42によるものだろう。銃撃音と弾丸の連射具合で分かる。
 しかし背後からのそれは、強烈な一撃だった。まるで対戦車ライフルの如き強烈さ。九七式自動砲? といぶかったが、一撃の後、次が来ないのでどうしようもない。
 ふと、撃たれた方から何者かの気配を感じる。その人影はまるでせせら笑うかの如く、口の端を歪め、ふっと消えた。
「待て!」
 史子は追いすがったが、もう何も無かった。気配すらない。恐らく“消えた”のだろう。落ちていた薬莢を拾う。その薬莢で銃が分かった。やはり九七式自動砲、扶桑の対戦車ライフルだ。どうしてこんな所に? 何故史子を狙った? まさか……。
 まさか。“あの人”か?
 史子は大きく息を吸うと、ポケットに有った包帯を取り出し、ささっと応急的に処置をした。暫くは動ける。血が滲むも、何とか行けそうだ。再び紫電改を履くと、史子はよたつきながら、先を目指した。

 奥の突き当たり。扉の向こうに人の気配を感じる。
 ばーんと扉を開く。大きな椅子に持たれ掛け、客人を待っているかの様な態度でそこにいるのは、グレーテル。何処から調達したのか、コーヒーを片手に頬杖をつき、史子の到着を待っていた。そして史子の姿を見るなり、驚きの声を上げた。
「なんじゃその姿は!? 自爆でもしたのか」
「ほっといて頂戴」
 史子は紫電改を脱ぎ捨てると、改めて床の上に立った。
「まあ良い。わらわも気が変わった。余興がてら、ゲームをしようではないか」
 白黒の碁盤の目状に敷き詰められた、床。そして身の丈程もある、巨大な駒の数々。その端に、彼女は居た。
「チェスね?」
「良く知っておるな、扶桑の魔女」
「そのぶっきらぼうな言い方は止めて欲しいけど」
「扶桑の魔女は扶桑の魔女であろう。さあ、やるのか、やらんのか」
「私、将棋と囲碁は知ってるけどチェスの詳しい事は知らないのよ。貴方のルールを教わって良い?」
 と言うと、史子は左手を上に向け、一冊の本を取り出した。ぺらぺらとページをめくる。
「カンニングは無しじゃぞ」
「ちょっと待ってね、駒の動きを確かめるから……よし、大体把握」
「良いじゃろう。勝負開始だ」
 グレーテルは指先を動かし、遠隔操作の如く、駒をひとつ進めた。史子も倣って、駒を動かす。

 盤上の戦いは、数分で終わった。
「何故だ! 何故わらわがチェスを覚えたてのそなたに……」
「言わなかったかしら?」
 史子は悪戯っぽく、先程読んでいた本をもう一度召喚した。
 本の名は『グレーテル・フォン・バウアーのチェス』。すなわち、彼女のチェスのプレイスタイルを詳細に記した、彼女の“記憶”と“記録”。
「いかさまじゃ!」
「貴方が良いって言ったのよ?」
「おのれ! ならば剣で勝負を付ける!」
 椅子から立ち上がると、腰から刺突の剣……レイピアを抜き放つグレーテル。そのまま構え、突進する。
「貴方何処までも負けん気が強いのね」
 対する史子は手に扶桑刀を握ると、八相に構えた。左肩の痛みが気になるが、何とかするとばかりに、顎を引き、力を込める。
 交錯する、二筋の切っ先。
 ぱきん、と乾いた音がする。
 レイピアは真ん中から折られていた。
「扶桑刀はそんなにヤワじゃないわよ」
「どこまでわらわを愚弄すれば気が済むのじゃ!」
「貴方が逃げるから」
「黙れ!」
 その時はっと、史子は気付いた。
 また、誰かに狙われている。
 瞬間的にグレーテルを抱きしめ、そのまま、床に転がる。
「な、何をする無礼者! わらわにそんな趣味は……!?」
 言いかけた瞬間、数発の跳弾音を聞いたグレーテルは顔色を変える。
「何? 何故じゃ? 何故わらわが撃たれる?」
「貴方だけじゃなくて、私も、なんだけど。むしろ狙いは私かしら?」
「えっ……?」
 グレーテルは意味が分からないとばかりに至近距離にある史子の顔を見た。彼女の口の端から滴る、血の雫。
 シールドを貫通して、一発の弾丸が史子の身体に到達していた。幸いにもグレーテルには及ばなかった。
「ちょっと借りるわよ」
 グレーテルの腰から拳銃を抜くと、おもむろに片手で撃つ。乾いた銃声が幾つかした後、先程の嫌な殺気は消えた。
「……居なくなった様じゃが」
「有り難う。助かったわ」
 グレーテルに拳銃を返す。
「ところで、その……近い」
「え? ああ、ごめんなさい」
 お互い、少し距離を取る。床にへたり込む二人。
「全く、床を汚しおって」
 グレーテルは史子が座る床を見た。史子の下に、血溜まりが広がりつつあった。
「ごめんなさいね。しかし参ったわね。このままだと……」
「何の事じゃ?」
「いえこっちの事。ところで、貴方」
「? わらわは何の問題も無い。ただ少々……」
「少々? 私に話せる、ことが有ったら……」
 史子は次第に荒くなる呼吸を抑えながら、グレーテルに問うた。
「そなた本当に大丈夫か? 何か死にそうじゃぞ?」
「大丈夫だから。お願い、貴方の話を聞かせて?」
 手の甲で口元の血を拭って無理に微笑む史子。
 いたたまれなくなったのか、それとも助けられた義理か、グレーテルはぽつりぽつりと話し始めた。
「部下が……。わらわの部隊は消耗が激しくてな。配属された部下の名を覚える前に、次々と……」
「それは、貴方のせいじゃない」
「倒れる前に、せめて、名前位覚えてやりたいのに、何故、皆倒れる? 名前を覚える前に、皆居なくなる! わらわの指揮が悪いのか!? こんなのでは指揮官失格じゃ!」
 史子はひとつ呼吸をした。つもりが、血で咳き込んでしまう。ごほっと血塗れの咳を手で隠した後、言葉を絞り出す。
「理由は、至ってシンプルな事よ。激戦だから。貴方でなければ、部下達の名前どころか、貴方の部隊そのもの、そして貴方自身すら名前が消える事になっていたでしょう」
「……」
「だから、貴方のやって来た事は間違ってない。そして、貴方の部下を思いやるそんな気持ち、想いがあってこそ、みんなも頑張れる」
「そう、いうものかの?」
「ええ。ウソは言わない」
「さっきイカサマしたのに?」
「ウソではないわ」
「詭弁じゃ」
 言いながらも、グレーテルは微かに笑った。
「貴方の目覚めを待っている人達が居る。そう、貴方の仲間が、帰りを待っている。だから」
 史子の静かな呟きを聞き、グレーテルは苦笑した。
「全く。今にも死にそうなそなたが言う事ではないぞ」
「なら……」
「嫌じゃ」
 早口で否定され、史子は耳を疑った。
「えっ?」
 にやっと、グレーテルは笑った。
「そなた、このままだと死ぬのじゃろう? 仮にも、先程の銃撃からわらわを助けたのじゃ。ならば、わらわと共に行かねばなるまい」
「そう、してくれると助かる」
 史子はそっとグレーテルを抱きしめた。
 二人の身体が金色の光の粒と化し、昇華した。


 ふと目を覚ます。
 口元に何か付いている。手の甲で拭う。血だった。
「あっ、お帰り先生。大丈夫? 出血が酷い」
 エレンが気付いて口元をガーゼで拭いた。
「気のせいよ」
「気のせいじゃないって。いきなり吐血して……起こそうかと思ったんだよ。何度も拭いたし」
「それはどうも。起こさなくて正解だったわ。患者は?」
「容体は安定してる。もうすぐ起きると思うよ」
「なら、早く医務室へ」
「了解、先生」
 エレンはグレーテルをそっと寝台に移し替えると、隣の医務室へ運ぶ。廊下に出た瞬間、仲間のウィッチ達の声がわっと聞こえて来た。
「あんなに騒いだら嫌でも目覚めるでしょうね……。ま、でも、眠り姫の目覚めとしては悪くないかも」
 史子は独りごちて、はあ、と一息ついて自分のソファーから身を起こした。
 エレンの言う通り、幾つものガーゼが血に染まっている。眠りながら、吐血していたのは事実らしい。夢の中での身体的苦痛やダメージが、寝ている間だけ実際の身体に発現する事は、稀に有る。今回はその最たるもの。
 エレンに気を遣わせたかな……と、考える。そしてむせる。慌てて手で覆う。血はまだ微かに喉の奥に残っていた様で、掌に浴びせられた血は、まるで重病患者のそれに見える。
「先生、大丈夫?」
 エレンが慌てて戻って来た。
「私は平気。患者は?」
「つい今し方起きたよ。彼女の部下達、あの可愛い子ちゃん達の騒ぎっぷりと言ったら無いね。まあ幸せそうで良かったけど、ボクもあんな風にキャーキャー言われたいね。いや、言わせてみたい気もする」
「その言い方、何か下品ね」
「酷いな先生。心配してすぐ戻って来たってのに」
 エレンは史子の傍らに立つと、腰をかがめて、顔を近付ける。
「とりあえず、フーミン」
「お願い、エレン」
 二人は、そっと口吻を交わす。
「どうかな? 大丈夫?」
「ええ、大丈夫。元の世界。はっきり分かるわ」
「良かった」
「いつもありがとう、エレン」
「フーミンの血の味がする」
「貴方いつから吸血鬼になったの?」
「これがフーミンの血。美味しいね」
「だから貴方が言うとシャレにならないんだって」
 エレンは笑った。史子も笑った。

 すっかり復調した史子は、自室で本日の「診察」をカルテに書き込んでいた。イレギュラーな事が有ったものの、それは夢の中の「アクシデント」と言う事で片付けた。実際、錯乱気味の患者の夢中では、何が起きてもおかしくない。尤も、史子も夢の中では「何をしてもおかしくない」能力を持ったウィッチなのだが、今回の銃撃、そして謎の人影……
「まさかね」
 繰り返される呟き。
 あの時あのまま、銃撃されて夢の中で「死」を迎えていたらと思うと、ぞっとする。長い夢の中で「死亡」すると、夢の底、更に深淵へと落ちる。知る者は、その場所を「辺獄」とも「虚無」とも言う。心を閉ざし逃げる患者を追って夢の奥へ奥へと“進む”行為とは比較にならない、底なしの墜落。広がる無限にも近い時間と空間。史子はその事を、良く知っている。
 しかしあの人影……、史子の知る、とある人に似ていた。いや、もしかするとその本人かも知れない。だとすると、この先非常に厄介な事になるだろう事が、予見出来る。嫌な事にならなければ良いのだが。
 史子は微かに湯気が残る湯冷ましをちびりと飲み、ふう、と一息ついた。
 コツコツ、とドアをノックする音。
 はいどうぞ、と返すと、ドアが開き、先程の患者と、その部下達がひょっこり顔を出した。
「あら、フォン・バウアー中尉。どうしたのですか。寝てないといけませんよ?」
 驚く史子。
「わらわは一週間も寝ていたと聞いたぞ。これ以上大人しく寝てられるかという話だ」
「なら、睡眠薬でも出しましょうか?」
「要らぬ」
「でも、寝ていても体力は消耗しますし」
「そう言う問題ではない……」
 グレーテルの言葉を遮り、仲間……恐らく部下であろう陸戦ウィッチの一人が史子の手を取った。
「ありがとうございます! バウアー中尉を助けてくれて!」
「私からもお礼を!」
 口々に言われ、少々困惑気味の史子。笑顔を作ると、まあまあと皆を落ち着かせた。
「これは私の任務ですから。貴方方みたいに戦いの最前線には行けないけれど、助ける事は出来るから」
「流石、軍医じゃのう。随分と変わった軍医じゃが」
 言いながら、グレーテルが頷いた。
「よく言われます」
 グレーテルは思い出したかの様に、史子に迫った。
「そなたは歩行脚も飛行脚も使える……と言う事は、戦わないのか? 良ければわらわの部隊に」
 史子は少し後ずさりながら笑顔で答えた。
「あれは夢の中だけの話で、残念ながら実際には。お心遣いには感謝しますが」
「そうか。それは残念」
「軍医殿、聞きましたよ中尉から! 夢の中で、身を挺して中尉を守ってくれたとか」
「ええ、まあ……」
「ありがとうございます。私達にとって、中尉は本当、大切なひとなんです!」
「私達に出来る事なら何でも!」
「いや本当、お礼だけで十分ですから」
 善意とは言え、自室で押されっぱなしと言うのは少々気が引ける。
「そうじゃ。思い出した。そなた」
 不意にグレーテルは史子を呼んだ。
「はい。何でしょう?」
「まだ、そなたの名を聞いていなかった。此処へ来たのも、そなたの名を、聞きたかったからじゃ。扶桑の魔女」
 グレーテルはそう言うと、にっと笑った。
 史子も微笑んだ。

「はい。問題ないかと思います。いえ、その件はまだ……」
 電話口で、かしこまった口調で話すウィッチ。
「承知致しました。引き続き、行います、“閣下”。ではまた」
 短く用件を伝え終わると、受話器を戻し、面倒臭そうに背伸びをした。
「これだから、参るねえ。……そう言うの、ホントはボクの趣味じゃないんだけどな」

continue

「心」に傷を負ったウィッチを、「夢」の中で癒す軍医(ウィッチ)のおはなし。第3回。
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